◆『意識高い系』の考察
なんでいわゆる「意識高い系」の人たちって
「気づいた」って言えばいい所を「気づきがあった」
と言ったり
「まなんだ」って言えばいい所を「学びがあった」
って言いたがるんだろう (´・ω・`)?
かしこそうに見えるってことなのかな?
◆『ウェイ系』の考察
『ウェイ』とは仲間同士で盛り上がった時に発せられる若者言葉。関連して『ウェーイ系』という表現が使われることがあり、集団になって騒ぐことを好む若者に対する軽蔑を込めた呼称などとして使われる。
ウェイ系って自分のことウェイって自覚してるのかな、むしろした上でウェイウェイしてそうだなぁ、群れをなし友達と公共の場でどんちゃん騒ぎするのがカッコいいと思ってるのとやたら肩パンと腰パンが好きな部族だと認識しております。
うちの上司はウェイ系運動部だから、事務所で1人ご飯してると不思議そうに「食堂でみんなで食べればいいじゃん」って言ってくる。いや、その"みんな"が騒がしいからここにいるんであってだな
コラムニストの犬山紙子氏も「ウェイ」を語る
私のようなタイプとウェイ系の人たちは交わらなければお互い平和に過ごせるし、どっちがどっちをバッシングするものでもないんだろう。ただ、学生時代嫌でもそれらの人と交わらねばならないし、カースト的にはウェイ系は上に位置するから、私みたいなタイプは偏見を持ちやすいんだと思う
ただ、学生時代のカーストを大人になっても引きずって、ノーウェイの人間に上から話をする一部のウェイ系、はたまた異常にウェイ系をネットでバッシングしまくる一部のノーウェイ系は私は嫌いだ。
私はウェイ系は苦手という偏見が少なからずあるのだけど、それは私が他人に干渉されるのが嫌いなタイプだからで、ウェイ系の人たちの他人を巻き込むコミュニティ作りに肌が合わないだけだからだと思う。心を開けてない相手に絆を感じることもできない。当たり前だけど彼らを差別的に見るのは良くない。
◆『コミュ障』の考察
『コミュ障』とは、コミュニケーション障害の略である。実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。
ワイ「コミュ障やからその場で楽しくても楽しかったの私だけかも知らんとかいらんこと言ってもうたとかめっちゃ後悔するねん。あんな事喋んなきゃ良かったとか1人になった途端不安になるねん。」
元ヤン「え?何で?何で家帰ってまで人が自分のこと考えてくれてると思うの?」
ワイ「(ほんまや)」
コミュ障に対して「大人しいよね」「なんか喋ってよ」といったコミュハラ(コミュニケーションハラスメント)の被害を広めてゆきたい。これはハゲている人に「ハゲてるね」「毛生やしてよ」と言うようなもので、コミュハラはこれがいかに酷い言動であるか自覚すべきである。
コミュ障がどうので辞めて行った人が、別の会社でそれなりにやっていけてるらしいのを聞いて、コミュニケーションの責任は一方だけにあるのではないというのを感じずに居られない
喋れる「コミュ障」もいる…
本当に他人と会話が出来ない、しゃべれない方向のコミュ障は滅多にいないけど(出会ったことがないわけではない)、自分はコミュ強だと思っていて相手の話を聞かず空気も読まずガンガン他人に殴り掛かっていくタイプのコミュ障ならちょくちょく出会う。
コミュ障とは「自分から話題を振れず終始黙り込んでいる人」のことではない
「場の空気も読まず相手の話も聞かず自分1人でベラベラ喋りまくっている奴」のことだ
一見すると「人当りのよさそうな人」に見えても…
コミュ障には三種類いる。
①マジでコミュニケーション取れない人
②趣味の合わない人とは話せないが、気の合う人となら会話が止まらない
③色々な人と会話でき、人当たりがよさそうな人間を演じる事が出来るが、物凄いエネルギーを消費する
③はコミュ症として認めてもらえず肩身が狭い
@PhotoArtism 私思いまするに、③の人は「コミニュケーションを取るのにエネルギーをたくさん消費する」と同時にですな、「エネルギーを使いさえすればコミニュケーションを取れるんだから消費しないのは怠慢である」という責任感を持っているのですよ。だから生きづらい。
@LaviverRS 『エネルギーを使いさえすればコミニュケーションを取れる』に補足を加えると、そのエネルギー消費が『コミュ障ではない人』と比較したら燃費が悪いのですな。③勢の貧乏くじポジション・・・いや、それでも頑張らざるを得ないんですけどねー。
◆『察してちゃん』の考察