転機は芸能人の描いた絵をオークション
するというテレビ番組の企画に参加したこと。
このとき描いた絵に対し、芸術家の
岡本太郎氏がメッセージをくれたのである。
岡本太郎先生がくれたメッセージが気になり始める。「キャンバスからはみ出せ」と。これは、どういう意味なんやろと思ってると、絵のアイディアがどんどん湧いてきたんです。それでテレビの仕事をしながら、家で絵を描き始める。
ジミーは岡本から紫色の絵具を贈られている。このことについてはテレビ番組で「どういう意図でくれたのか分からないが、紫という色はとても難しい色で、今はまだ使うことは出来ない。いつか貰った絵具で絵を書けるような画家になりたい」と語っている。
ジミー大西の専門は水彩画。
高校在学中から吉本興業に入ったものの「使いものにならない」と冷遇されていたジミーを、明石家さんまが面倒をみたことは知られている。
その大恩人のさんまから画家を目指すことになったジミーに、「人に画を習ってはいけない。」と言われた言葉を今まで忠実に守っているようだ。
「大切にしているのは思いつきやひらめき。
技法を追及したりはしないので、画家じゃなくて“絵描き”のままでいたいですね。
師匠の明石家さんまは「(ジミーの)絵を買うやつの気が知れない」と言いながら、今でも小遣いをくれるそうで「『お前は礼儀正しいカツアゲ屋だな』って言われてます」
忙しい合間にやっていても、絵の具が乾いてしまって、同じ色が出せない。しかも、テレビタレントの「陽」と絵を描く「陰」の切り替えが大変で。それで、絵に集中したいと思うようになって。
96年芸能界を引退し、画家1本に絞る。
あこがれのピカソの故郷、スペインに移住。ジミーを誰一人知らない異国の地で、 胸の内にあった芸術への想いを一気に爆発させ、本格的創作活動に入る。
その後、アントニオ・ガウディの影響を受け、立体にも開眼する。
1999年作品を通して日本とブラジルの文化交流の架け橋となった功績に対して、ブラジル・パラ州から文化功労賞を授与される。