ワイルド・セブンさんの訃報に悲しみの声が
闘病中だったプロレスラーのワイルド・セブンさん(年齢、本名非公表)が5日未明にがんのため死去した。
所属事務所のバリアフリープロレス「HERO」を運営するGPSプロモーションが6日、発表した。
公式ツイッターでは「かねてより闘病中でありました弊社所属ワイルド・セブン選手が、昨日五日未明入院先で亡くなりました。昨年12月に正式に弊社所属となり、今年2月には団体GMに就任。再発後も、最後まで『生きる』事をメッセージとして伝え続けました」と追悼した。
がんが見つかったのは2017年夏で、同年11月に手術を受け、昨年プロレスニ復帰したものの、今年2月に再発を公表しました。
その後も、復帰を目指して治療に専念しながら、4月に一度プロレスの大会に足を運んだのが最後だったとのことです。
2年弱もの間、がんと戦いながら、プロレスファンの期待に応えるべく闘病生活を送ってきたようですが、その願いもかなわずとなりました。
海外でも活躍していた
HERO、大仁田興行、超戦闘プロレスFMW、ファイト・オブ・ザ・リングなどに参戦。
邪道軍に属するとともに、ワイルド軍の指令塔として活躍し、17年1月には、新井健一郎を破り、ラテンアメリカ王座に戴冠した。
「やりたいです!」と言ったら「おまえは身体が小さいからメキシコに行ってこい」と。それでメキシコに行ったのが18歳のときなんですね。
なんのツテもないです。大仁田さんから現地の人を紹介されるわけでもなく、行けばなんとかなる、と。実際は行けばなんとかなるようなもんじゃなかったんですけど(笑)。
当時のメキシコはUWAが新日系、EMLLは全日系だったじゃないですか。
自動車修理工場が本業というルチャドールを紹介してもらって、その工場に置いてあったリングで練習するようになって。2週間ぐらいでデビューすることになったんです。
行動力が魅力的~
大仁田厚の愛弟子だった
大仁田厚さんに憧れて始めたプロレスでしたが、憧れの選手とタッグを組むところまで上り詰め、覆面レスラーとして自身を確立させたすごいプロレスラーだったのですね。
それがプロレスラーになって、がんが見つかっても、闘病しながらリングに上がっていたのを知っているだけに残念でならない」と涙ながらに語った。
両膝人工関節の手術を受けた大仁田は、7月13日に東京・新木場1stRINGで復帰戦を行うが「電話では『7月13日には行きますから、試合させて下さい』と言ってたんだが、信じられない」と絶句していた。
1982年にティファナでデビューし、大仁田厚さんのFMWの設立に携わるものの退団。
長らくプロレスから離れていました。
悲しみの声が…
右にいるのがワイルド・セブンさんです。「この技は意外とむずかしいんですよね」と語っていたのを思い出しました。 pic.twitter.com/uVV4Mzw5D0